2005.3.25.入院生活三日目朝、いよいよ手術<2005.3.25.記>

いよいよこの日が来た。起床6時より手術前最後となるメールやらこの書き込みやらを行い、手術に備える(それは備えか?)。あと8時くらいまでにはトイレと着替えを済ませておく(こういうのを普通は備えと言うのだろう)。着替えは、昨日の検査の時もそうであったのが、T字帯と検査着になる。T字帯とは何だか初め分からなかったのだが、要は木綿?でできた白いふんどしである。何だか恥ずかしい。
実は今日は、勤務先の学校の吹奏楽部の3年生最後のスプリングコンサートの日である。元々、色々な生演奏を聴くのが好きで、毎年楽しみにしていた。音楽はもちろん、演奏をしている人を見るのが好きなのだろうか。特に今年は、3年間面倒を見てきた子たちの最後の晴れ舞台なのでとても見たかったが、とても残念である。

いよいよ手術室へ<2005.3.25.記>
いよいよ手術へ向かう。昨日の検査と同じでストレッチャーに乗せられて行く・・・のかと思っていたら、空のストレッチャーを押す看護士さんの脇を普通に(ただしオペ着を着て)歩いて手術室へ。着いてまず驚いた。さすが大学病院で、入り口に中央手術室と書いてある。それまで手術を行う部屋というと、入り口をあけたら、そのまま一直線に(一つの)手術室があると漠然と思っていた(もちろん、部屋を滅菌したり外気との出入りは特別な仕掛けがあるだろうとは考えていたが)。ところが中央手術室。恭一日でもこんなに手術があるのかと、改めて感じる。部屋に入ると横に細長い部屋になっていた。全体的には白を基調としているが、ステンレスの部分も多く、雰囲気としては(見たことは無いが)食肉工場のよう。これから手術だからなおさらそう思うのだろうか。この部屋を板チョコに例えてみる(文章力不足のため、例えないと説明できない。また他のものに例えたいが思いつかない。別に格別にチョコが好きなわけでも特別な?思い出があるわけでもない)。長い辺を自分の手前にしておいたとすると、右手前側に外への出入口があり、右の短い辺には上半分ガラスの受付がある。奥ではバタバタとうす緑がかった看護士?が何名も出入りしている。時折そこから呼ばれ、病棟から一緒に来ている看護士が受付し、手術に向かうらしい。部屋の短辺左を見ると、「ペインクリニック」と書かれてカーテンをした部屋がある。そして部屋の長辺右奥が手術を行うところにつながっているらしい。部屋の真ん中は患者を運んできたストレッチャー7,8台並んでいる。これから手術を行う人は、寝たままでここで待つのだが、僕と同じように歩いて来る人も何名かおり、出入口横の待合い椅子に3名ほど座っていた(あれ、あまりチョコに例えた効果がなかった?)。いよいよ自分の番である。手術室への入り口は立って入るのでなく、横向きについていた。ストレッチャーとほぼ同じ高さのところで横に開いており、頭をぶつけないように気をつけながら手術室へ向かう新しいストレッチャーに乗り移る。さて、これでいよいよか・・・と思ったら、長い。長い廊下が続いている。第○手術室とかかれた部屋をいくつもとおった。しかしとおっている見た感じ、ちょっと薄暗めの普通の廊下。ここも滅菌されているのか? ただストレッチャーに横に寝かされて天井を見ての移動なので、下側には特別な仕掛けがあるのかもしれない・・・などと考えていたら、自分の手術室についた。第七手術室、ラッキーセブンだ・・・などと考える余裕もなく、好奇心5割・・・、いや、不安感を振り払うため無理矢理好奇心を沸き立たせ、好奇心8割でもって手術室へ入る。麻酔が効き始めたらすぐに意識はなくなると聞くし、術中は大丈夫だと自分に言い聞かせた。手術室内は少し肌寒かった。全体がエメラルドグリーンを淡くしたような色で、天井からは、いかにもこれから手術するといわんばかりの丸く大きなおぼん状の照明がついている。丸い時計がついていて、時間が9時前をさしていた。これから麻酔しますよと言われ、新しい点滴を入れ始めた。1,2秒して周りの景色がにじんできたなぁ、と思ったところで記憶がとぎれた。

手術終了後、その1<2005.3.25.記>
手術が終わった。「終わりましたよ」という旨の言葉をかけられた。麻酔から覚めた直後はもっとぼんやりした状態なのだと思っていたが、割とはっきりとした目覚めの気分。しかし時計を見ると午後の2時。終電に乗って座席でで5分ほど、うとうとしていたら車掌に肩たたかれて起こされたような感じがする。しかし5時間も経っていたとは。再度ストレッチャーに乗せられ、病室に戻っていく。すぐに自分の病室に行くのだと思っていたら、”リカバリ室”に一晩いることになる模様。”リカバリ室”という物々しい名前の部屋は、要は手術直後などで多くの支援が必要な患者が何名かいる回復室の事なのだが、なんだかパソコンの復元を思わせる名前だ。足には圧迫具をつけ血流をよくしているようだ。適度に締め付けることで血圧を高め、流速を上げるのだろう(多分)。それ以外にも足の先を交互に圧迫する道具がついている。スリッパを半分はいているような感じがするのだが、数十秒に一回ずつ交互に足を締め付ける。マッサージされているような気分。これらにより、いわゆるエコノミー症候群を防ぐらしい。確かに同じ姿勢を続けていることや手術による影響で血栓ができて脳にでも行ってしまったら大事(おおごと)である。ふと気がつくと、尿道に尿を出す管(カテーテル)が入れてあった。とりつけ状態を確認するため看護婦が調べるが、思ったほど恥ずかしくなかった。局部と、それをさわっている看護婦の手や顔が見えないからか(しかし実はちょっと好みの顔の看護婦だったときはうろたえた)。手術後の姿勢であるが、背中を手術したのだから、しばらくうつぶせで過ごすのかと思っていたら、仰向けである。手術のやり方により異なるらしい。今の段階では、背中と腰の中間あたりが押されているようなじんわりとした痛み。足は両方ともしびれている。手術時の麻酔によるものだろうか。やや左の方がしびれが大きい。ただ足の指や足全体は動かせるのにホッとする。手術前の説明でもあったように、腫瘍化した神経が支配している筋肉の動きなり感覚なりがダメになるのはもちろんのこと、腫瘍をはがすにあたって近隣の神経へも多少なりとも影響があるからだ。最悪、下半身不随になることも覚悟はしていた。しかし痛みがあるのはいやな物だ。サイバーSFコミック(?)で、木城ゆきと著の”銃夢(ガンム)”というのがある。その中で、血液中を流れる分子ロボットで、自己修復ロボットというのが出てくる。分子ロボットを持つ人間の組織が傷つくと、自動的に修復してくれる。今回手術で傷ついた組織を、その修復ロボットですぐに直してもらいたい気分である(そうすれば痛みもすぐになくなり元通り)。同じようなネタで、自分の体に蟲を住まわせ、自分の体が戦闘で傷ついても復活するという”蟲使い”の話はよく出てくる。でも分子ロボットはいいけど、何だか蟲に修復してもらうのは何となく抵抗がある・・・などとくだらない空想にふける。しかし分子ロボットや蟲がいなくても、(時間がしばしかかると言え)切った組織が修復するのは何とすばらしい働きだろうか。改めて生物の働きのすばらしさを実感する。
下の妹が見舞いに来た。勤務先へ、無事手術が終わった旨の連絡をお願いした。学期末の忙しい中、色々な仕事を途中で任せて来てしまい、またたくさんの心配をおかけしているのが気になる。しばらくして入れ替わるように上の妹が来た。そこで病室に置いたままにしてあったSIGMARION(キーボード付きのPDA。WindowsCE)を持ってきてもらう。これでこの入院日記を書いたりと時間つぶしができる。前述の中央手術室の話は、このリカバリ室で記録した物である。時間が経つ事で詳細な内容を忘れないようにするためにも役に立った。しかし400g位?(詳細は今は不明)と軽いとはいえ、上に持ち上げたまま仰向けでキーボードを打つのは腕がつかれる。筋トレになるかもしれない。しかし手術を終えて1時間もしないうちにリカバリ室でこんな事を行う患者も少ないだろうと思うのだが、看護婦がキーボード打っている姿見ても何もいわないから、案外よくある光景なのかもしれない。

手術終了後、その2<2005.3.25.記>
術後、麻酔による影響か、非常にのどが渇く。体全体としてみれば、点滴で水分補給をしているので足りているのではあろうが、のどの粘膜が非常に乾いている感じがする。しかし今の状態は酸素吸入を行っている状態であるし、また腸の動きも止まっているらしい。腸の動きは、聴診器を何カ所かに当てて音を聞くことで確認している。盲腸などの手術の後、おなら(看護婦は”ガス”という言い方をしていた)が出たら教えてくださいね、と言われた人も多いだろう。今まで、てっきり腸管がしっかりつながっていることの確認でおならなのかと思っていたら、(それもあるのかもしれないが)腸の運動の確認の意味であったらしい。今回の僕の手術では、消化器は全くいじっていない。それなのに腸の運動を確認するのは、おそらく消化器の運動も麻酔により止まってしまうからなのだろう。
しばらくし、手術を行った医師が来て説明をする。腫瘍は良性だったそうである。ホッとする。切除した腫瘍を見られるのかと尋ねたが、病理に全部出してしまったのでないとここと(手術中、切除した腫瘍の細胞を顕微鏡などで調べ、悪性か良性か判断する。そういった検査を病理部門で行った)。残念。術前からもっと”見たい”とアピールしておけばよかったのかもしれない。腫瘍は、髄内で髄液に浸った状態と取り出してからで大きさが少し違うらしいが、おおよそ数cmだったらしい。感じとしてはゼリー状の物だったようだ。かなりの大きさだったらしく、元々は一本の細い神経が膨らんでできていたものの、他の神経にもべちゃっとくっついていて、それを一つ一つ手術用の顕微鏡下ではがしていく作業に時間がかかった模様。手術とは、患者にしてみれば成功してもらうのが当たり前でも、実際に行うのはとても大変な仕事なのだと思う。腫瘍はほとんど取ることができたそうだが、完全に全部取ろうとすると他の神経を痛めてしまうおそれがあるため、腫瘍の薄皮一枚くらいは残った物もあるらしい。それがまた増殖し、腫瘍となるかどうかはその後の経過を見ないとわからないそうである。数年間は、年に一回程度MRIの撮影を行うとのこと。何となくすっきりしない気がしないでもないが、それでもまずは腫瘍が無事取れたことにホッとし、うれしく思う。
しかしのどがすごく渇く。酸素吸入も、水を通しているので湿度はあるのだろうが我慢できないくらいの状態である。またお腹もすいてきた。術後はもっとしおれた状態になるのかと思っていたら、ずいぶんと元気な感じがする。また足のしびれが少し強くなってきた気がする。手術の麻酔がどんどんと抜けてきているせいかもしれない。
ふと気がつくと、水分補給の?点滴が無くなっている。今では不安も何も無いが、初めて点滴を行ったときは色々恐かった。血管に空気が入ると死ぬというイメージが強く、ちょっとした空気が点滴のチューブ内に入っていただけて人を呼び、また点滴が無くなると空気がそのまま入っていってしまう気がしてまた呼んだ。実際のところ、ごく小さな気泡は無視しても良いらしく、また点滴が無くなってもそのままにしておいてかまわない。チューブの所々に色々な仕掛けがあり、手間無く、しかもコストも安くなるようにできている。さらに驚いたのは、腕に刺してある針から5cmほどのところがT字になっており、さらにコック(弁)がついている。一本の点滴だけでなく二つの点滴を一緒に行ったり、片方の点滴が無くなっても一つだけ継続したりできるようになっている。点滴が必要なければ、腕に針とコックだけ残してはずしてしまえばよく、再度点滴するときにはコックに点滴のチューブをはめるだけでよくなっている。よく考えた物である。そういえばこれを理科の気体の実験に使っている人がいた。二つの気体を混合し、できあがったものを空の点滴バックに入れ、質量をはかったりする。コックがついているので気体が漏れることもなく、少々においや毒性のある気体だったとしても簡便に扱える。できあがったそういう仕掛けを使うのは簡単だが、開発した人はすごいと思う。

手術終了後、その3<2005.3.25.記>
ふとカーテン越しのベッドで「おいしい?」という看護婦の声が聞こえる。気がつくと17時を回っていた。まだお腹の動きの音が弱いらしく、水分を取っていない・・・いや、点滴はしているので、水を一滴も飲んでいない身としてはとてもうらやましく聞こえる。しばらくしたところ、ボンベの酸素が無くなったので吸入をはずすとのこと。てっきり無菌に近い状態にしたりするため、しばらく吸入装置をつけたままだと思っていたので拍子抜けのような気がする。体温を測ると少し熱が出て、37.6度。氷枕を使うことになる。
しかし看護士の動きを見ているといろいろな仕事があるのだと思う。このリカバリ室に来てから、検温が1~2時間に一度ある。毎回同じ人というわけでないため、名前をなかなか覚えられないくらいである。それ以外にも、血圧や脈拍測定、点滴に食事介助、排尿等処理。医師への連絡に個別のナースコール対応。ばたばたと走り回っている感じである。学校での勤務中、教員は仕事には集中しにくいと思っていた。授業で使うプリントをつくろうにもすぐに生徒が呼んでいると連絡が来たり、誰と誰がヘンだから様子を見に行かなくては行けないとか部活動を見に行かなくてはならない、そして会議、担任としての事務処理等々。しかし看護士の仕事はそれ以上に緊急のことが頻繁に入りつつ、日常的な仕事もしなくては行けないのだと感じる。
19時頃、ようやくおなかの音を確認し、水を少し舐められる。ほんの少しであったがとてもありがたい。点滴も気がついたら新しいものへ。全体的な痛みで全然気がつかなかったが、どうやら背中にドレン(ホース)がついているらしい。手術で切り開いた筋肉層の中まで細いホースが入っていて、膿や余分な出血を外に出せるようになっているようである。そこから逆に雑菌が入ったりは・・・しないようにはなっているのだろう。
尿意を催し、少し外へ出そうとするとカテーテルの横から漏れてくる。看護婦に伝え、様子を見てもらう。すると尿をためる容器でチャプチャプ音が。わざわざ力んで出さなくても、カテーテルがぼうこうまで入っているので自然に出てくるそうである。便利なのだが・・・不思議な気分である。
夕飯は重湯ととき玉汁(豆腐入り)?、イチゴミルクセーキ、リンゴジュースだった。どれも寝たまま横に向き、ストローで飲む。いつものくせで一気に食べてしまいたいが、どうもおなか(消化器)が重く、動いていない感じがする。ここはゆっくりと味わって?食べることにする。食事の合間にSigmarionで文章を打つ。一旦テキスト文章として保存したものを、病室に持ち込んだLet’sNOTE(ノートパソコン)に移し、そしてAir”Hでネットにつないだ時に一気にアップする予定である。食事を終えたらコーヒーが無性に飲みたくなる。しかし看護婦に言うのもはばかられ、我慢。
氷枕を一旦ははずすが、その後の検温で37.8度。手術後は熱が出ることが多いらしい。体の自然な防衛反応なのだろうか。また氷枕を使い、熱を下げることになった。今度は両脇にも凍った冷剤(飲むゼリーのパックを凍らしたような物)をはさむ。体が一気に冷やされた感じがする。しかし自然な防御反応で化膿防止(外から入ってきた細菌の増殖防止)のため体温が上昇しているのなら、むしろ体温は少しあがっていた方がいいのではないのだろうか。看護婦に質問してみたいが、手術を終えたばかりの患者の聞くことでないような気がして断念。足のしびれはかなり収まり、右はほとんどなく平常の感じになってきた。しかし左足は、慣れない人が長時間正座をした後のようなしびれがとれない。ふくらはぎから下全体にかけてである。右足が治った分か、さっきよりしびれているような気もするくらいである。20時過ぎ、急に背中の痛みが強くなる。手術で使った麻酔がここいらで完全に切れたのだろうか。先ほどまでは頭も完全に冴えていたが、すこし熱のせいかぼんやりした感じがする。
この夜は非常に長かった。背中の痛みと左足のしびれが気になって寝られない。それだけでない。同じくリカバリ室にいるお年寄りが、ふと目覚めては「痛い」「(ベッドから)起こして」「○○ちゃん(自分の知人か何かの事か?)」を呼ぶのだが、どうやら少し痴呆気味であるらしく、支離滅裂なことを言ったりもする。看護士は、もちろん夜中の見回りにくるのだが、そのお年寄りの訴えにはあまり対応していないようである。また後日書くことにしたいが、自分の祖父が最後に入院した時の事を思い出し、涙が出そうになる。
いずれにしてもそのような声が一晩中聞こえ、痛みがあり、一番長い夜になった。昨日たくさん寝ておいてよかった。

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