2005.3.27.入院生活五日目。回復順調!<2005.3.27.記>

昨日の夜はよく眠れた。朝の目覚めもすがすがしい。その前の夜が一番長かったと思う(この後も含め)。今はまだ6時前だが、化膿止めの点滴を行う。小一時間かかるだろう。パソコンでテレビをみる。7時過ぎ、朝食を食べるためベッドを起こしてもらう。起きる姿勢も大分楽になった。朝食後、横を向きながら足を下におろし、ベッド横に腰掛ける形で起きあがる。手の支えなどが必要だが、何とか角度80度くらいまで(背がどこにもつかず)起きられる。昨日できなかった事ができるのがかなりうれしい。しかし背中から腰にかけて痛み。切った部分の痛みか、それとも使っていなかった筋肉を急に使った筋肉痛か。しかし今日は回復がめざましい。10時過ぎ、ベッド横に完全に普通に腰掛け、スリッパを履き、足を地面についた。立つのはまだ痛みがあって恐くて立てない。でも車いすを使うより、歩行補助具を使って歩く方が楽そうな気がする。やってみたい衝動にも駆られるが、もし万が一髄液が漏れたりしたら一大事。「今はまだベッド上での安静が大切ですよ」との看護士の言葉がまた念を押す。
11時半頃、看護士が来て頭を洗いましょうかという。是非ともお願いしたい。どのようにして洗うのかと思っていると、がらがらと手押し車のような洗髪台というのを持ってくる。ステンレス製で小さな手洗い台とシャワーのような物がついている。コンセントをつないだところをみると、ポンプとお湯を沸かすのに使うのだろう。かなりさっぱりした気分である。昼食後、背中についていたドレンをはずす。ドレンの先を見ると、今までに出てきた血液や、血漿のような透明な液体がたまっていた。今までこのドレンが背中についていたため、ベッドにつながれているような気持ちであった。取るときに少し引きつるような痛みがあったが、取った後は解放された気分である。

このケースであるが、ふくらんだ風船の入った箱と吸い出された箱の二つからできている。この風船が、ドレンの先の液体を吸う役割を果たしているとのこと。たくさん膨らませばそれだけ陰圧に(つまり吸う力が強く)なるのである。単にホース式に重力任せだと、ふとした時に逆流したりする事もあるだろう。そうするとそこから患部に雑菌が入る可能性もある。そうならないための工夫を発見し、何だかおもしろい。

やはり左足が!<2005.3.27.記>
午後、両親と妹、それと叔母が見舞いに来る。心配をかけているのは申し訳ないが、何だかうれしく思う。
たまたま自分の入院しているところがそうなのかもしれないが、本当に入れ替わり立ち替わり色々な看護婦・看護士がくる(男女差別のつもりは毛頭無いが、そのように言葉を使わせていただきたい)。顔は何名かは覚えたものの、それ以外は”あれ、この人は前にも来た・・・かな?”という感じである。看護婦のナースキャップ、よく見ると後ろのでっぱった部分にピンパッチのようなものがついている。ハートマークだったりディズニーだったりリボンだったりと一人一人違う。決まった服での唯一のアクセサリなのかもしれない。名前は見ても忘れてしまうが、こちらで区別するのは覚えやすそうだ。他の病院でもそうなのだろうか。
夕食後、勝手なリハビリでベッドサイドでつかまり立ちをしてみる。するとうまく立てない! しびれのある左足が、力は入るのだが加減がよくできない、というかブルブルすると言うか。今まで順調に進んできていた感があったので少しショックである。色々さわってみると、左足はふくらはぎの外側やかかと付近にほとんど感覚がない。これが収まって行くものなのか、それとも後遺症として残る物なのか、様子を見極める必要がある。ショックはショックだが、明日になればまた少し良くなるだろう。

車いす、初体験<2005.3.27.記>
21時前、トイレに行きたくなる。看護士に言ったところ、「では車いすに乗ってみましょう」 初めての体験である。思ったように動く・・・ところまでは行かないが、2日間自分では動けない生活だった身にとって、思ったところへ動けるのは実に爽快である。足の具合、やはり右足でのケンケン状態が無難のようだ。左足が動き方を忘れたような感じである。ゆっくりリハビリしていこう。

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