イモムシと少年

昔、科学センターに勤務していたときの話です。

子供が質問にきました。いきなり、目の前に10cmくらいの大きなイモムシをつきつけ「せんせー、これ何ですか?」
どうやら、庭先から見つけてきたようです。普通なら、ゲッと言ってしまいそうなものですが、誇らしげに持ってきました。今日は勤務先の一般公開の日、いろんなお客さんが来ます。

たかがイモムシ、といっても10cmもの大きさがあると、ちょっとギョッとします。しかも、子供は棒の先に2匹もつけて。よく見ると、全体が茶色で、体の節のような部分にそれぞれ斑点があります。また、尻尾はちょっと尖ったようなでっぱりがあります。
「どの植物についていたか、わかるかな?」小学3年生くらいの、イモムシを持ってきた子供に聞いてみました。
「えっとねぇ、ホウセンカ」

僕は昆虫の専門家ではありません。いきなり見せられた先程の幼虫が何かは、すぐにはわかりません。そこで、ポイントになる情報を元に、図鑑を調べることにしました。
先程の、”ホウセンカ”というのは重要なヒントです。ヒトのような雑食性の生き物はさておき、昆虫の類はかなり食べるものが限定されている場合があります。この場合は、自然に考えるとホウセンカが食草の幼虫、という事になります。
また、雰囲気からして、蝶ではなさそうです。なぜ?と聞かれると困るのですが・・・(この辺が、専門家と単に生物をかじっただけの人間の違いですね)。蛾の仲間をまず考えてみました。あと、大きさが10cmもある、というのもポイントです。都会にいる、大きめな蛾、といって思い当たる物の幼虫を調べてみることにしました。

オオスカシバという、体の大きな蛾がいます。羽が透明で、体は黄色と黒の色を持っています。体はかなり寸胴な感じです。パッと見、太った蜂のような雰囲気を持っています。知らない人が見ると、蜂のようだけど違うし、いったいこれは何の生物の仲間か、面食らいそうです。透けている羽、という事で”透かし羽(スカシバ)”と呼ばれています。最初に思いついたのは、この蛾でした。しかし、幼虫図鑑でオオスカシバを見てみると、違うことがわかりました。また、食草もクチナシで、違いました。しかし、幼虫の体型はそっくりです。子供が持ってきた幼虫は全身茶色、オオスカシバの幼虫は全身緑色、というのさえ除けば、かなり似ています。そこで次に思いついたのは、スズメガの仲間です。正しくは、オオスカシバもスズメガ科の蛾の一種なので、それ以外のスズメガの仲間という事です。パラパラと図鑑を見ていると、似ているのがいました。セスジスズメという蛾の幼虫です。成体の写真を見ると、茶色をしていていかにも”蛾”という感じです。食草も、ヤブガラシやサトイモ、ホウセンカが普通と書いてあります。そのほか特徴も一致し、ほぼこれに間違いないでしょう。

調べている間、イモムシを持ってきた子供は、館内で一般公開の催しに参加をしているようでした。おおよその見当がついて僕はほっとしている所に、子供が戻ってきました。今度は、母親らしき人と一緒です。
「ねぇ、ママ。さっき見つけたイモムシ、調べてもらったんだよ」子供が言います。
「え、イモムシ?!」どうやら、子供が何かを質問しにいったのは知っていたのですが、まさかそれがイモムシのことだとは全く知らないようでした。
このタイミングで、先程のイモムシと蛾の話をしていいものかどうか、迷いました。しかし子供は、目を輝かせて先程のイモムシの正体を知りたがっています。親が怪訝な顔をしているなんて、文字どおり眼中にないようでした。
そこで、預かっていた10cmの二匹のスズメガの幼虫を出しました。その途端、
「きゃあ、なんでこんな汚いものいじるのよ。」子供に向かって親が言います。
「そんなものいじっていると、体も汚くなっちゃうわよ」親が、本当に汚いものを触るかのように、子供に向かって言います。
そしてその時の子供の表情の変化。見ていて非常に悲しくなりました。最初は、あんなに好奇心に満ちて、先入観なく調べようとしていたまなざしが、親に怒られてしゅんとした表情を経て、そして最後にはまるで汚いものを見下すような感じでイモムシを見ています。親と全く同じ目つきをして・・・。

良くも悪くも、こうして親の価値間が子供に伝わっていきます。そして、学校の勉強でならうようなミジンコやミドリムシといった、実生活にはなじみの薄い生物はよく知っていても、もっと身近な自然の生物であるイモムシやボウフラといったものの正体すら知らない人が増えるわけです。”汚いもの”という色眼鏡がかかってしまうと、じっくり観察して調べてみよう、と出来なくなりますし。
僕が理科の先生だからこんな事を思うのでしょうが、子供が何か好奇心をもって調べ始めたら、自分がその対象を好きだろうが嫌いだろうが、危険でない限り黙って見守り、価値間を押しつけないことが大切なのではないでしょうか。

親と子供のそんな光景を見てしまったので、すっかり僕も説明する意欲をなくし、「まぁスズメガという蛾の仲間ですね」と一言で、終わらせてしまいました。

・・・と、ここまででこの文は終わりにする予定でした。しかし、書きながらちょっと後悔しています。
「そんな状況だからこそ、ふんばって理科的な素養を広く一般に伝えるべく、頑張らなくちゃいけなかったんだなぁ。最初にそっぽ向かれるのは承知の上で、何が出来るか、考えなくちゃ」

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